「今日のひとこと」(別名今日の自己満足......)  Jan. 2002 - 18 April 2005

椎名林檎

『教育』 クリムゾンからイエスへ=プログレまっしぐら 
 
 

 『教育』は良いです。すみません。その成功の大部分はサウンドすなわちアレンジによると思う。亀田マジック健在なり。

 キーワードのひとつは『さらなるプログレ化』。アルバム1枚目から3枚目までは「ゼップからキングクリムゾンへ」と思ったことですが,今回もクリムゾンテイストは残っているものの,70年代に一世を風靡したもうひとつのプログレバンド「イエスYes」のパロディないしオマージュに満ちている。とくにはっきりしているのは,イエスの代表作『こわれものFragile』からのパラフレーズないしは引用;1曲目『林檎の唄』の曲頭のリフは『こわれもの』B面末尾を飾る大作『The Heart of the Sunrise』の冒頭のそれ,そして7曲目『現実を嗤う』はサウンド全体が『こわれもの』当時のイエスのサウンド,特に『こわれもの』A面末尾の『The South Side of the Sky』に良く似ています。

 全体としてスネアの音色はBill Bruford,ベースの金属的な音色がChris Squire,シンプルな音色のキーボードはRick Wakeman。ギターは部分的にSteve Howeという,まったくイエスによく似てる。録音がよく,楽器の分離がよい。ボーカルの音色の多様性。

 もうひとつのキーワードは,指向の分化,といいますか。全12曲は例によってシンメトリーに配置されていますが,構成的には切れ目は5曲目と6曲目にあります。1〜5曲目のサウンドは,アルバム1枚目と2枚目の路線,つまり「ネズミ声,ノイジーさ,レトロ歌謡調,パンク風味」などがプッシュされているのに対し,6曲目以降は,アルバム3枚目の路線つまり「ややアコースティック指向の分離の良いサウンド,おおらかなメロディライン,ラブソングの枠を越えた歌詞指向」などなどを継承している感じ。前半ノイジーサウンド+推進力,後半は新機軸+3枚目アルバムの発展形,ってかんじかな。A面B面の意識は強いです。

 では女王様のソングライティングは,枯渇したのか? うーん。「圧倒的にコレっ!」という歴史的な曲,聴き手の特定の記憶に染み込みそうな独立性の強い曲(例えば,積木遊び,ここでキスして。,虚言症,依存症,月に負け犬,などなど)がなくなった,という意味では,もうアルバム1枚目・2枚目の勢いはなくなった,とはいえるような。しかし今回のアルバムは,全体として見ればやはり「格が違う」のは明白で,曲間の埋め草の6曲目を除く11曲中,作詞作曲を9曲まで担当していることからするとカリスマクリエイターとして天晴れ,の部類と云って良いと思います。アルバム1枚目・2枚目は,女王様が高校生くらいの年齢で書いた曲のストックでおおむねできていたと思うことからすると,要するに若さの爆発で聴かせる段階はもう終わった(=戻ってこない),ということなんでしょう。ちょっとかなしいけど
 

1.林檎の唄
 冒頭シンバルの4打が幕開き。シングルの別アレンジ(という意味では『幸福論』の再現)。冒頭のフレーズはイエス『The Heart of the Sunrise』のパロディ。プログレ+レトロ歌謡調+ファンクの合体。イントロの左チャンネルのギターって笑っちゃうよ。ボーカルにイフェクタ。ハンドクラップ。右チャンネルのキーボードがファンク風味。単調なドラムスのリズム。ベースがプログレです。歌詞のキーワードは「罪の果実」。

2.群青日和
 ポップで耳によく残る。ネズミ声正統派が心地よすぎ。ドラムスの一本調子がかえって特徴的。詞はよく乗っている。歌詞のキーワードは「誰かここへ来て」。単調なアウトロが長くて,たるいー。

3.入水願い
 一転して"素っぽさ"を演出したボーカルの録り方。距離感のあるミックスから,サビ「また同じこと繰り返している」で声が近くなることの(ある意味予定調和的な)効果。レトロ入ってます。でもまぁ,「どうぞーぉ,殺(や)ってぇー」という最後の田舎芝居的ひと叫びは,好きになれんねぇ。

4.遭難
 レトロ歌謡調入ってます。とくに左チャネルのギターの薄い音がその雰囲気大。それに加えて単調なリズム。ネズミ声。全体として比較的印象の薄い曲で,これがどうしてセカンドシングルだったかは,首をひねる。

5.クロール
 このアルバム前半の頂点で,アルバム全体の頂点のひとつ。これまでの4曲は,並べて聴くと「どれも同じ」に近い印象だが,この1曲で突き抜ける感じ。サウンドはまるでディープパープルかと思うような:その意味でレトロなロック。ボーカルは全編イフェクタつき。キーボードは「オルガン」だ。単純リフ。コード進行がこのテのロックの定石。ノイジーで素人っぽい。2枚目のアルバムや,「メロウ」の雰囲気。パンク風味。ボーカルは遠くイフェクタが深い。

6.現実に於て
 ピアノの間奏,7曲目へのイントロ。ある意味,アルバム全体をシンメトリーにするための数合わせ。数合わせではあるが「クロール」の意味を際立たせる意味で,良い位置を占めていて効果的。

7.現実を嗤う
 アルバム中,最も新機軸な曲。「こわれもの」のイエスそっくりのサウンド。全体に音が薄く,ソリッドで,緊張感ある。ギターワークの一部は『The South Side of the Sky』からの引用。サビでのボーカルの左右振り分けコーラス。リフをボーカルでやるという後半の盛り上げはうまい。これもイエス的か?("Siberian Khaturu")。英語歌詞。ベースは超うまい。かっこいー◎

8.サービス
 これも新機軸。冒頭,イフェクタをかけたソリッドで単調なギターリフが加速していってシンバルがかぶる,あたりはキング・クリムゾン的。そのあとでハンドクラップは,リバプールサウンドのパロディ。左チャンネルのギターはポール・マッカートニーそっくり。プログレ的でありかつビートルズ的。つまり『ホワイトアルバム』に出てきそうな曲。ボーカルのイフェクタが深くて,何を唄ってるのかはわからん。一部,自分でごく低いパートを唄ってボーカルを重ねているのは,ファーストアルバムの『茜さす』を思い出す手法。

9.駅前
 曲の後半,長い音符で絶叫調になるのは中島みゆき化現象でてます。そういえば,タイトルが中島みゆきの『ホームにて』(名曲。)に似てるな。3枚目のアルバムにたくさんあった曲調の流れをくむ。ピアノのイントロは,ショスタコービッチか新古典時代のストラビンスキー。ボーカルのメロディは唱歌調。だんだん楽器が増えていく構成でラヴェルの『ボレロ』風。歌詞のキーワードは『わたしなら ここです』かな。見つけて欲しい私。『重たさ』という意味では『クロール』に続く第二の頂点。でもちょっと印象うすいなー。

10.お祭騒ぎ
 プログレにして,ノリノリのラテン調。いわば女王様版マツケンサンバ。ドラムスがまたイエスのBruford調。ベースはJeff Berlinだな。うねうねしてていいベースです。遠いエコー+イフェクタのボーカルが続き,サビで出る生っぽいボーカルが鮮やか。またしてもハンドクラップ。

11.母国情緒
 ホイッスルで導かれ,コミック調で明るく,軽い。神楽坂という地名を出すところがこの人のクセ,変わらず。で,重たくならずにラストへ。

12.夢のあと
 冒頭いきなり羽田健太郎か?というピアノのアルペジオ。曲調としては3枚目のアルバムの延長。三拍子のシャンソン調,平明できれいなメロディ。世界平和を切々と訴えるメッセージ性。後半盛り上がる。最後に,盛り上がる大仕掛けな,泣かせる曲を持ってくるのは,これまた中島みゆき化だね。
 
 
 

 全体としてみればこのアルバムの構成は,4部構成。

1〜4:レトロ歌謡調でちょっとノイジーかつプログレな。
5:昔からのファンを満足させるばりばりロック。
6〜8:プログレでかっこいーバンド。
9〜12:中島みゆき色をラテンとコミック調を挟むことで中和した終章。
この4部構成は,うーん,古典派の交響曲に構成ににてるよね。5が単独で転回点になっているあたりはマーラー的だなぁ。ほら,第五番の,まんなかのレントラーを思い出すでしょ(ほんとかよ)。
   (09/01/2005)
『ちゃんと教育して叱ってくれ』 ―「群青日和」 
 
 

 『群青日和』は,ラジオで聴くと,とくにかっこいー。亀田誠治バンドのボーカリストという元のサヤに戻って,昔風の絶叫+かっちょいいバンドサウンドしてる。ラジオ映えする曲で,ということはつまり,出来のよいポップミュージックだっていうことでしょう。でも,東京事変は「女王様本人の才能の枯渇」でないのか?
 
 

 『群青日和』は,「ネズミ声」の復活めざましく,「ハァ」という女王様のブレス音から始まりいきなりサビのメロディからの歌い出し,後半でブレイクを入れて盛り上げる,ノイジーなイフェクター全開,etc.というステキな手法のこれでもかの積み上げは,例えば『ここでキスして。』と全く同パターンで,ある意味亀田誠治プロデュースのルーチンワーク。これまでファンが好んできた(もっと正確に書くと,アルバム2枚目までのファンが好んできた)ツボをこれでもかとくすぐる。亀田氏のベースラインは,例によって相当にかっこいいですよ。この人ホントにうまいなー。メロディは超ポップ。   .....でも本人の作曲ではない。

 詞は,とてもいいです。とてもいい。つむがれるホットなラブソング。
「新宿は豪雨/あなた何処へやら/今日が青く冷えてゆく東京」なんてフレーズ,かっこいいの極みでしょ。「突き刺す十二月と伊勢丹の息が合わさる衝突地点」も,いい。こんなすてきな歌詞を書けるひとは,他に誰もいないです。   .....でもこれ,『勝訴ストリップ』のなかの何曲かと同じ路線だよね。「虚言症」とか「依存症」とか。どっちも私の大好きな曲ではないか....
 
 

 良いんだけれど,とっても良いんだけれど,どれもこれもが,昔の女王様自身の二番煎じのようで。なんたって,歌い出しが「しィーんジュクぅは?」だもんなぁ。あまりにストレートで無防備じゃん?それでいいの?という気がしてきませんか。それになぁ,新宿に伊勢丹とくる「ご当地路線」は,はっきり云って自作の『丸の内サディスティック』のパロディでないか。

 クリエイターとしての力量という観点からすると,自作をなぞるようになってはオシマイ,じゃないのかなぁ。それって凡人の天才願望でひいきのひきたをしか。

 このシングルは3曲入りで収録時間はたった10分ちょうど。本人の作曲はひとつもなくて作詞のみ,2曲目なんかアメリカのスタンダードナンバーのカバーですよ。それってほとんどただの埋め草。プロが余技でやるカラオケをむりくり聴かされてるようなもんです(→「唄ひ手冥利」の余ったトラックじゃねぇのか?)。

 やはり市場が求めるステレオタイプと本人の才能の枯渇?が幸福な結婚をしたということかなーと。セカンドシングルは10月20日発売,ファーストアルバムは11月発売,年が明けて全国ツアーだそうで,コマーシャル路線まっしぐらでミルク代をかせぐ女王様。いやべつに悪いとはいってないよ.....
 
 

 これまでの3枚のアルバムを通観すると,「次作は前と同じであってはいけない」というコダワリというか強迫観念というか東芝EMIのプロデューサーの思い入れというか,そういうものが感じられ,シーナリンゴというキャラクターはただのミュージシャンではなくて,アーチストであってほしかった,のだな,きっと。女王様本人がどのくらい本気でそう思っていたかはわからないけれど,東芝EMIはそう思っていたでしょう。その3枚分は見事に成功したと思います(あの評判の悪い3枚目も含めて)。ただしその3枚中で,1枚目がずば抜けてインパクトがあったのは明白で(あとの2枚が悪いというわけではないよ),3枚目まで変化してみせたところで「もうこれ以上は続かないだろう」という気がしてました。それを強く感じたのは復帰後最初のパフォーマンスをビデオ化したDVDで,なにも,中島みゆきか松任谷由美のでき損ないの物まねみたいな駄作を作らなくてもいいじゃないの......と思ったことです。

 以上の状況を総合すると,やっぱ,女王様は転落していると思います。これが一時的な「停滞」なのか,本当に「枯渇」なのかは,これからの歳月が教えてくれるでしょう。
 
 

 それにしても,「新宿」に「伊勢丹」をつけあわせたのはナイス。それ聞いただけで,3丁目交差点から靖国通り・区役所あたりにかけての雑踏が目に浮かんじゃって。曲の頂点の「誰か此処へ来て」のひと叫びも,泣ける泣ける。一瞬,「メロウ」の必殺の「そうだろう」を思いだす。  ......って,結局ホメてんだかけなしてんだか。

 をっとそれと,「ちゃんと教育して叱ってくれ」のひと言。教育産業の末席を汚す者としては,心に響くひと言です。そう面と向かって発言する学生がいつか現れることを願っておれもがんばろう。関係ないか。
 
 

   (23/09/2004)
『ここでキスして。』―「無罪モラトリアム」(8) 

 
 その鍵はサビの最初の一行「行かないでね」の一言に尽きます。この唄のキーワードは「行かないでね」という,哀しげなこのひとこと。そう聞こえるように彼女は唄っています。孤独の泣き節,不安の叫び。一見ノー天気の絶頂のような曲なんだけどこの曲の魅力はホントはどこから来るのか?→それは「行かないでね」のひとことから発しそこにまた収束する,この哀切調なんですねー。「行かないでね」で“離れるベクトル”に反抗し,「キスして」で“近づくベクトル”に転換しようと試みる,だれやかれやの弱気な心。こんなに泣ける曲はなかなかないよ。

 音楽面でのめくるめく仕掛けの数々。

 アカペラで始まりアルバムのそれまでの曲とは違う雰囲気のサウンドになだれこむオープニングの迫力。そのなだれこみの直前に,奥から聞こえてくる「キーン」という音の夢のような効果。

 開口一番,耳を引くメロトロン風に響かせた五音音階風のシンセの伴奏。このイントロのスパイスは,たとえば「幸福論」のベルの音や,「虚言症」の笛の音のシンセに通ずる,いつものワザあり。

 乾いた音のドラムスの刻みの人間くささ。3拍目と4拍目を叩くスネアーの,微妙なハズシた感じ。「間」というか。そしてバスドラの乗りの良さ。それにかぶさる,ほとんど低域でずーっとモゴモゴいっているベース。これらのミックス具合の心地よさ。

 「ななっめぇうっしっろ〜」のところのドラムスのブレイクは,まるでそれ以外にありえないというくらい鮮やか(「離宮殿」の方のご指摘の通り!)。ここから長い放物線を描いてギターソロへ昇っていく,その出発点。その前後で左から右へ,そして右から左へ動いて消えてゆくチャカチャカという小さいけれどすてきな効果音。

 「びぃーじーんなタぁーイプではないけれど〜」のところでかすかにボーカルのうしろで鳴るマンドリン風の音の,これまた哀感。これはマーラー「大地の歌」の最終部分のマンドリンのエコーかな(まさか)。

 この一曲の最高点は,必殺裏声の「行かないでね」から始まる後半のブレイク。「ななっめぇうっしっろ〜」から始まる長い長い盛り上げの果てのギターソロを引き取って貫録十分に鳴るドラムスが導くのは,リズムマシーンと逆回しの効果音とかすかなキーボードだけが残っての「行かないでね」は,女王様のここ一番の切々調。この哀感が曲の頂点

 そこに小声で「そらいくぞ!」とこっそり入ってくるベースのからみ具合。これに先んずるギターソロの入魂ぶり。短くて鮮烈。このギターを支えるドラムスもベースも,気合い入ってます。

 そして,女王様のメリスマとバンドサウンドが盛り上がった揚げ句にボーカルが孤独に締める末尾の鮮やかさ。


 亀田誠治入魂のアレンジによる稀代の名曲。これがもしなかったとしたら女王様の初期はずいぶん色褪せてしまうじゃないですか。ビデオクリップもすてきだよね。

     (15/5/2004)
『積木遊び』―「無罪モラトリアム」(7) 

 

 このアルバムの山場の開幕。山場とは「積木遊び」から「警告」まで。

 ベースのリフから始まる「積木遊び」は,「途中で半拍詰めて強拍節の切り替えをする」というフェイクつきの凝ったイントロ。なんど聴いても拍を数えてしまうというお遊戯(まんまとはまる)。テープの編集ミスをそのまま残したのかと最初は思ったよぉ(笑)。あ,8拍子で数えれば1拍だな。

 この曲の良さは,ナンセンスとノリのベストミックス。なーも考えずに乗ればよろし,という潔さ。ビデオクリップ集第1集を見てしまったらあの映像の効果が曲にまとわりつかないかといえば嘘になる。嘘つきはきらいです。どうもあれを思い浮かべちゃうよね。キメのポーズがかっこいい。この,「あのクリップと不可分」というところが,ある意味この曲の不幸といえば不幸かもしれない。

 この曲のアレンジの多様さは,ブカブカいうホーンセクションとか,「なんちゃってお琴」とか,そういう目立つエピソードにあるだけじゃなく,最初のAメロの伴奏が実はベースとドラムスしか演ってない,というあたりが真骨頂かも。そんなシンプルな伴奏だとは気がつかないくらいごきげん。

 サビの「しくじった」「悔しけり」「やられたり」の語句のリフレインが,華やかななかにもネガティブな空気をかもしつつ,次のさらなる名曲へ
 
 

     (2/5/2004)
『シドと白日夢』―「無罪モラトリアム」(6) 

 

 全11曲中の6曲目,すなわち真ん中。曲順シンメトリーならばその軸。そして,歌詞は女王様がお好きなシンメトリーが美しい。最初のBメロ"あなたの髪"そして"真っ黒なその眼"の『黒』と,2番目のBメロの"真っ白な頬っぺた"そして"透き通る小さな雨だれ"の『白』との,鮮やかな色彩の対照は,シンプルすぎて子供っぽいとはいえやはり鮮やかです。

 全体としてのイメージの豊かさがなかなかすごい。"その眼があたしに光を射てば呼吸ができる"なんていうラブソングを,いったいこれまで誰が書けたか? 鮮やかすぎ。この唄,一時めちゃめちゃ好きでした。

 "手錠をされたままであたしにひざまづく","でも泣かないで/いま鍵を開けたげる"というのは,『正しい街』にも見られた伝統的ジェンダーの逆転で,これはさらに『ここでキスして。』にも共通してて,このアルバムにある種の一貫した気分を与える方向性。新鮮だよね。さらに,結びの"殺されてもいいワ"というところに端的に出ている,歌詞の"とんでもないぞっこんぶり"は,『ここでキスして。』とほとんど同じ。つまり『ジェンダー逆転+なりふりかまわぬラブラブぶり』が,この2曲共通のカラーで,おたがいウラオモテみたいなもの。

 『シドと白日夢』てゆうタイトルも,いかにも女子高生っぽい発想で,かわいい。あ,そこのおじさん,シドってシド・バレットぢゃないよ(笑)。

*****

 サウンド的には,『離宮殿』の方がおっしゃるようにハープの音がちょっと余計な感じかなー。わたし的には,途中から入ってくる"ガラスの割れる風なリズムマシーンの音"が好きで,こういうなんてことないノイズの選択が,亀田誠治はホントうまいなー,と思います。『幸福論』(シングル)の,"キン・コーン!"ていうベルの音とか。

 さぁーていよいよ次は『積木遊び』だねー(笑)。
 
 

     (23/08/2003)
女王様の軌跡
ゼップからクリムゾンへ。または女王様の「リボルバー」

 

 いえね,ファーストアルバムとセカンドアルバムのサウンド・モデルは,たぶん誰しもそう感じるように,1970年代の英国白人ブルース・ロック・バンドのそれだと私も思うんですよ。かなり今風にはなっているけれど。唄を先導し全曲を支配するギターリフ,「スタタタスタタン」ていうドラムスの刻み,サビをいろどるシンバルの連打,サビのあとに必ずくるかっこいいギターソロ,時にはキーボードの絡み。そういうお定まりアイテムの集積。それが露わに出ているのは例えばファーストアルバムなら『ここでキスして。』と『警告』,セカンドアルバムなら『虚言症』と,申すまでもなく『罪と罰』。

 それを「離宮殿」の方は,レッド・ツェッペリンだとおっしゃる(リンク参照)。私はゼップは好きだ(どんなにコマーシャル過ぎると云われてもGood Times Bad Timesはやはりかっこいい!)けれど,そんなに情熱的な愛好者ではないので,そういわれれば,そうかなぁ,と思ってしまう。だが,あるミュージック・フリークによると,違うあれはゼップではなーい!,という。う−んそうか。女王様のアイドルはRadio HeadとNirvanaだそうなので,それらを聴くと,また違う感想を持つかも。

 いずれにしろ,ファースト,セカンドはともに,『一発録りバンドサウンド』(に聴こえるような)路線をめざしていたでしょう(ファーストのほうが,よりソリッドだ,という違いはあるけれど)。それは,プロデューサー=アレンジャーの亀田氏と東芝EMIの戦略。それは大成功で,日本のロック史上に絶対に消えることのない2枚のアルバムができたわけ。ですが,ちょっとすねた見方をすれば,あれは『亀田誠治バンドfeaturing女王様』のアルバムだったと云えば,云えてしまうような。

 さて2年半のブランクを経て2か月前に出たサードアルバム。それはいったいどうであったか? それはねー,キング・クリムゾンになっちゃってたわけですよ(笑)。種類の多いアコースティック楽器の音のフラグメントを集積していったような音作り。電気楽器の歪んだ音。バラエティに富んだ曲調。意味不明なこむずかしい歌詞の連綿と続くこと。曲と曲の間の連結部の小細工の多いこと。そして決して失われないメロディアスさ。さらにはアルバム全体のトータル性。45分がまるでひとつの曲のようにあっと言う間。

 そういえば,セカンドアルバムには,クリムゾン的っつーか,プログレ味っつーか,そういうアレンジが混ざってました。例えば,『ギブス』のエンディングから『闇に降る雨』の間の移行部,ストリングスにパーカッションがこうるさくからむ部分は,まんまクリムゾンのパロディでしょう。このような,脱バンドサウンドの傾向は,サードアルバム前の最後のシングル『真夜中は純潔』のアレンジで既に相当に準備されていたところでもあり。さらには,今回のアルバムを機に,女王様は自分の事務所を立ち上げて独立してもいるしー。

 レコード会社のコントロールから距離を置くこと。そしてオーバーダブし放題の贅沢なアレンジで,もはやステージでの再現可能性はある意味無視。『亀田誠治バンドのボーカリスト』から脱却し,セルフプロデュースする自律アーチストへの変化。しかも45分を切るような短い収録時間でもレコード会社に文句を言われないドル箱スターとしての地位。これって,『リボルバー以前のビートルズ』から『リボルバー以後のビートルズ』への変化とも似てますねー。サードアルバムは,女王様の『リボルバー』なんです。そういや,最後の『葬列』のエンディング,高まるクラスター音がブツっと切れて,というのは,『A Day in the Life』を思わせるでしょ。
 
 

     (16/05/2003)
『やっつけ仕事』(絶頂集バージョン)

 

 『やっつけ仕事』は「絶頂集」8cmCD×3枚組の1枚目「虐待グリコゲン」バンドの1曲目を飾る曲。先日出たサードアルバムにリメークバージョンが入っています。まずこの先発の絶頂集バージョンについて。

 良い曲です。曲のラスト,『なーんにもいいと思えない!』という超ナゲヤリな叫びのリフレイン。それに続く『ねぇ,好きってなんだっけ?(思いだせないよ...)』という身も凍るような(おおげさやな)ゾッとする一言のつぶやき。ここの音色が,すげーうまい! ここのところが,芸能力満開の迫力です。前にも云った,delivery能力ってやつ。それによって,充たされない精神のバクハツを世間に投げつける。天晴れ

 そして,ライブにしてこの楽器のように正確な音程。ここまで唄えるハタチ前の娘,ってことは,ある意味,本当に絶頂というにふさわしいかもしれません。下克上ツアーのビデオでもこういうパフォーマンスが残っていたらねぇ。さらに,ライブ故か,巻き舌全開(笑)。
 
 

 彼女の絶叫調に身を任せたいと思うとき,第一の選択は『メロウ』にとどめをさしますが,『やっつけ仕事』も,とても大事にしたい。これでなければ癒されないor充たされないなにか,がこの曲にはあります。私にとって。
 
 

     (28/03/2003)
『茜さす 帰路照らされど...』―「無罪モラトリアム」(5)

 

 5曲目のこれは,ちょっと「らしくない」というか。「これ,大貫妙子のパロディかぁ?」という気もするような。あ,大貫妙子は,ファンなんですよ,私。どの部分もいかにもメロディアスで,彼女のメロディメーカーとしての才能がよーくよーく発揮されているのだけれど。

 メロディを支えるサウンドは..... ピアノ+ドラムスのみで始まるシンプルさ。それにアコギ+ベースが加わっていき,サビではストリングス入るしー,Cメロでは男の声でサイドボーカルなんか入っちゃって,一段と落ち着いた雰囲気に。

 歌詞はまー,なんてことないって云えばなんてことないフツーな感じ。キーポイントは「アイルランドの少女の歌声」でしょうかねぇ。これは,良く耳に残るひと工夫。

*****

 曲順を考えると...... 4曲目の『幸福論(悦楽篇)』に続くこの曲と『シドと白日夢』と,落ち着いた曲調が2曲。その後に,『積木遊び』。

 『幸福論(悦楽篇)』が前3作をうけた"転換点"であり,『積木遊び』が『ここでキスして。』から始まるこのアルバムの頂点の"前座"あるいは"予告"であるとすれば,『幸福論(悦楽篇)』→『茜さす 帰路照らされど』→『シドと白日夢』→『積木遊び』は急・緩・緩・急の4曲セットで,このアルバムの第2部をなしているということでしょう。

 と,どうしてもこの曲ソノモノに話の焦点がいかないですねー。はい。良い曲なんだけれど,どうしてもこれでなければ癒されないor充たされないなにか,があるわけではない曲,という気がします。私には。
 
 

 (28/03/2003)(09/04/2003改)
猫なで声
女王様は猫かネズミか

 

 女王様,小島麻由美,CHARA,ときたら......ワタシは「猫なで声」に弱い,ということがたちまち解る。気づきたくなかったが....そうだったんだ....なんかはずかしいぞ。明日から毅然と生きねば(正体不明)。
 

 「離宮殿」の方(リンク参照)は,女王様の声は「ネズミ声」だとおっしゃる。猫じゃないのかなぁ(弱い笑い)。ネズミかなぁ。猫といえばFelis felis Linneausだ。古生物学でそう教えたっけ。女王様の新しい事務所は黒猫堂だそうだし。あ,ワタシの研究室にはけっこうクロネコグッズ(レアもの含む)ありますよ。

 あ,....あ,ちょっと疲れてますね。
 
 

     (09/03/2003)
女王様の降臨
『下克上エクスタシー』―2000下克上ツアーライブビデオ

 

 哀しい。いやーこんなに唄がヘタな彼女を見るのはつらい。『本能』『罪と罰』『正しい街』『虚言症』あたりの曲は軒並みダメで,ほとんどただ叫んでいるだけ,に等しい。このツアーは初めての大ホールのツアーだったそうで,そのなかでもとりわけ大きいハコ(なにしろNHKホールだっ)だから調子がでなかったのか,そもそも彼女の唄はステージで唄うに難しすぎるのか........音域が困難なんですよねー。

 とはいえ,彼女の磁力吸引力が如実に実感できるのはやはりこのビデオの魅力。『月に負け犬』『Love is blind』『幸福論(悦楽篇)』『シドと白昼夢』『丸の内サディスティック』そしてオマケ映像のトリ『同じ夜』あたりが,まずまず聴ける唄に仕上がっているのがうれしい限り。なんだかんだいいながら,もう何度観たことか......(音だけカーステでも聴いてるし) 
 

 とりわけ,『幸福論(悦楽篇)』のノリ具合は,まさに女王様の降臨。カリスマの雄姿。感涙を禁じえない。ただただ拝みたひ。かっこよすぎる。

 

 それにしても。こんだけいいバンドを背にして,この出来はほんとに不幸だ。もっと別のテイクがなかったのかと悔やまれますが.....しかたないねぇ..... あ,ドラムスの人は,なにか有名なプログレバンドの人だそうです。が,私の聴くところ,このバンドのほんの少しの弱点はドラムスのような気がします。うまいと云われている人でこうなんだから,やっぱ,ドラムスは難しいんだねぇ。編集上の嫌みの無い少々の演出は,適度に心地よいです。『積木遊び』は,引いたカメラの連続ショットで,フリをちゃんと見たかったが......

 あとねぇ。『本能』の最初のほうで一回だけ映る背中側から客席向きに撮ったショットは,ちあきなおみの『喝采』を思い出させるんですよ。一瞬だけど。
 
 

     (18/02/2003)(06/03/2003若干の改)
『浴室』―「勝訴ストリップ」(2)

 

 佳曲(ないしは名曲)の「虚言症」に続く2曲目,テクノっぽい(死語;)イントロに続く最初の歌詞は『新宿のカメラ屋の脇を降りていった先の地下の喫茶店はジッポの油の匂いで....』という異様に具象的なフレーズ。それが,『アンタ云ったでしょ「俺を殺して」って』というカケ声をキッカケに,シュールな世界に突入。そこは夢の不条理ワールド。

 『アタシを開いて切り刻んで洗って干して乾いたら,ねぇ食べて...』ていう物騒な歌詞が,甘い軽いメロディに乗せてキラキラと唄われていく様は,なんともパステルカラーな感じ。『甘い匂いに汚された/お留守になっていた守備部隊...』ていうあたりがその最高潮。この感触は,吾妻ひでお(十勝郡浦幌町出身!)のマンガに似てる。悪趣味とかわいさ軽さの同居。

 サビは全部,多重録音の一人重唱だし,声そのものを聴かせる唄というものではなく,私にとってとりたてて大事な曲という気はしないけれど,このアルバムの13曲がトータルで示す色とりどりの世界,のひとつ,でしょね。

 そ,色とりどり。それがこのアルバムの特徴のひとつさね。この曲はそれを如実に感じさせてくれる。「虚言症」のシャガールに続いて,こんどは吾妻ひでおだものなぁ。唄われる夢が自分の夢なのか他の誰かの夢なのかちょっとわからなくなる.....ことないか...?
 
 

     (07/01/2003)
『ギブス』―「勝訴ストリップ」(4)

 

 アルバム中3曲あるシングル曲のひとつ。これは,通常フツーでない彼女(笑)にしてはやけにフツーっぽい,しかもスローナンバー。最初はちょっともの足りない気がしたけど,噛めば噛むほど,の佳曲。位置的には,「弁解ドビュッシー」のうるささ(笑)のあとでの気分の転換。いわば,『無罪モラトリアム』での「幸福論(悦楽篇)」と「茜さす」の対照の,再演。

 この曲の音楽的頂点は,曲の後半で新しいメロディで出る「また四月が来たよ/同じ日のことを/思い出して」のところ。この部分,「思い出して」を『おもい/だし/てぇー』という切れ切れのフレージング(と特徴的な音色)で表現するところが,まったく脱帽もので感涙に堪えません。この簡単な歌詞から,無限のイマジネーションを誘いだすこの唄い方。この1回だけ出るサビが,音楽的にも詩的にも全曲のキモなんだなぁ,ってのが,まるで目に見えるように絵に描いたように耳に届く。

 歌詞のキーフレーズを,聴き手の耳に(グサリ,とでもいいたいほどに的確に)deliverするという点ではまったく感心させられることの多い人ですね彼女は。この,考えに考え抜かれた(ように聞こえる)一節が,もし本能的に唄えちゃったっていうのであれば,まったく彼女の芸力は,天才的といえましょう。
 

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 「ぎゅっとしててね/ダーリン」だもんなぁ。ここだけみればかわいい系のストレートさだよね。これと,あの墓場みたいなVCとは,どうも合わん(笑)。

 とはいえ「ぎゅっとしててね」の前後の文脈には,『昨日も明日も何も定かではないならばせめて今』ということが延々綴られている。なんたる無常観。....でもたぶん,それが真実かなぁ。たしかに,確かなものが我々の日常を覆っているように感じるとしても,それは単に自分の希望を現実とわざと読み替えているだけかもしれません。ああだんだん不安になってきた(笑)。それに打ち込むクサビがどういうものかは,人によって違うでしょうが.... 吉田秋生の佳作『桜の園』を,ちょっと思いだしました。

 西川 進のギターはここでも,禁欲的な音の節約のなかに詩情あり。冴えてます。
 

※ところでコートニー&カートは,ロックバンドNirvanaのメンバー,カート・コバーンKurt Cobainと,その妻コートニー・ラヴCourtney Loveのこと(らしい)。カートは「20世紀最後のカリスマ」と云われた(らしい)。1994年にカートが拳銃自殺したのちコートニーは一躍マスコミの寵児となりその後バンドHoleのボーカル兼ギタリストそして映画女優として成功。代表作「バスキア」「ラリー・フリント」。彼女はなかなかゴシップに満ちた芸人魂?の人らしい。カートの死をめぐり,他殺説や,Nirvanaの版権についての他メンバーとの確執など,いろいろな尾をひいていて本にもなってます(和訳もあり)。『誰がカート・コバーンを殺したか』ハルパリン&ウォリス著米山裕紀訳ブルースインターアクションズ刊1,900円 ....んーでもこの2人と「ギブス」のカラーにどういう接点があるのか.....はNirvanaのファンじゃないとわからない?のかも。

 
     (16/12/2002)(17/01/2003改)
『依存症』―「勝訴ストリップ」(13)

 

 アルバムの最後をかざる佳曲。構成上,冒頭の『虚言症』と対をなす曲なんだけど,ただタイトルと曲位置だけじゃなく,ちゃーんと,イントロの音型が『虚言症』のギターのリフと同じで,ドラムスの入りの音型も『虚言症』のそれをなんとなくなぞっている,という,鏡像を音楽的にも意識したにくい隠し芸つき。

 美しい優しげなメロディーがゆれるこのスローナンバーは,アルバムの掉尾を飾るということも含め,20年前の中島みゆきの「夜曲」という曲を思い出させるような。

 ギタリスト西川 進はなかなかに私のテイストに合う人で,このナンバーだと,「いいえ綺麗な花は枯れ」のところで左チャンネルで弾いている控えめなオブリガートが,ぐっとくるんだよー。なんてことない,少ない音の連鎖なんだけど。このあたりは,ほんと,合うか合わないかっていう個人の問題でしょうねぇ。
 

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 「あたしがこのまま海に沈んでしまっても何ひとつこの世は変わらない(=あなたの関心をひくことはできない)」「どんなに微笑んでみてもこの世は変わらない(=同前)」「この世のどんな綺麗な花も枯れ,時は自分をあざ笑う」といった,くらーく沈んだ歌詞が覆う。「あなたの相槌だけほしい」という正統派ラブソングのメッセージと,「あたしは何時もボロボロで生きる」とも通ずるこうした自虐的メッセージの組み合わせ,は,まったく『虚言症』の別バージョンとも云えそう。(やっぱり中島みゆき的,とも云えそう,か...) このアルバムは,こういう2曲に枠どられた時間の内側で,進行するっつーわけだ。

 この曲のこの憂鬱を,霧っぽい,色の薄い風景でふちどっているのが,「急に只 寝息が欲しくなって/冷凍庫にキーを隠した」から始まり,「明け立ての夜をねだる品川埠頭」へ続く,透明感ある第一連の描写。これが「あたしが海に沈んでも何ひとつ変わらない」という虚無感の表明に続くところが,じっつーに泣けるんだよ。わかるでしょ? このへんの澄ましたカラーが,「無罪モラトリアム」の,泥くささと他のなにかの混在,から,少し様変わりした感じを覚えさせると思う。

 それにしても「勝訴」であるといい,勝ち取ったというフレーズ,とはウラハラに,沈鬱と後ろ向きのイメージで,ある種塗り込められたこのアルバムって.....後ろ向きこれでもかっ!ていう迫力か(笑)。好き嫌い別れますよね。やっぱ。
 
 

※ひとくちメモ(笑):レッグカフ=足錠。SHERBETS=浅井健一のソロバンド(1998〜)のことだと思う。うたわれない黄色い車の名は=Mercedez(か?)

 
     (01/12/2002)
『月に負け犬』―「勝訴ストリップ」(9)

 

 『月に負け犬』は,だれが見たって林檎版「ガンバレソング」。中島みゆきの(シツコイ!),「親愛なる者へ」の系譜。「何時も身体を冷やし続けて無言の季節に立ち竦む/浴びせる罵倒に耳を澄まし」というフレーズは,ほんと,「親愛なる者へ」への追憶のようなフレーズだし。

 なにしろ,「だから今すぐ振り絞る/只伝わるものならば 僕に後悔はない」だもの。これに加え,2拍子系の進行と,フォーク調のメロディライン,これはみな,いわば彼女自身の『幸福論』のエコー。進め!若者よ中年よ!...てなもんだ。これで元気をもらって,さぁ明日からまた職場という戦場へゆこう!,というような受け止め方のできる唄。(学生諸君,職場ってのは戦場なんだよ...自分が買ってもらえるか=給料をもらうに値するか=どうかの,自分とのそして世間とのたたかいの)

 「だから手の中の全てを/選べない日の出よりも先に/僕が空に投げよう」という,青春ドラマのタイトルバックみたいなひとことで曲は結ばれ。え”?これでいいのかなー?,っていう気すら覚えますよ。

 うーん元気でてきたぞ。(笑)
 

     (01/12/2002)
『虚言症』―「勝訴ストリップ」(1)

 

 『正しい街』と(ある意味)よく似た,あれと双璧をなす正統派ポップのオープニングナンバー。冒頭,ギターのリフにすぐにかぶさってくる笛っぽいシンセのひとくさりが,目を醒まさせる効果大。続くドラムスのおおげさで鳴りっぷりのイイ音が,祝祭的気分を盛り上げる。これでこのアルバムは,のっけから聴き手を遠くの世界に連れてってくれちゃう。そのうえ,ストリングス入りのゴージャスさ!ときたもんだ。

 イントネーションとメロディの軽いズレがアクセントをつける唄い出しのメロディラインは,たいへん親しみやすいし,サビの朗々とした感じは,とってもグーでしょ。あー気持ちいい。こりゃぁ,いい唄だ!
 

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 歌詞は,私にとっては,癒しというかなごみというか,そういう系だね。「大丈夫/いま君の為に歌うことだって出来る」「あたしは何時も君を想っているのに」ていう,なんの変哲もない正統派ラブソングのメッセージ,そして「あたしは何時もボロボロで生きる」という自虐的心情をこの調子で唄われると,思わず落涙を禁じ得ません(笑)。

 そしてなにより,最初の一連に出る「目が乾く気がする」「黄色の手一杯に」「雨や人波にも傷付く」「サカナの目をしているクラスメイト」といった語句が,きらびやかで浮遊するような感触をふりまいて余りある。ャガールの絵のなかに,はいっちゃったみたいな。
 

     (27/11/2002)
『幸福論(悦楽篇)』―「無罪モラトリアム」(4)

 

 4曲目の『幸福論(悦楽篇)』は,『丸の内サディスティック』までの「脱故郷→東京へ3部作」のあとに続いて,アルバムの最初のランドマーク(あるいは転換点)をなす。

 このあとにくる2曲(『茜さす』と『シドと白昼夢』)が特にアコースティック指向で,かつ,歌詞がバタくさいっちゅうか,ニュートラルっていうか,透明っぽさを指向しているのと比べると,アルバム冒頭の3曲(つまり「脱故郷→東京へ3部作」)のある種泥くさいカラーは,ずいぶん違うよね。その節目・転換点に,この曲が「区切り」として置いてあるわけ。しかもやかましい(笑)。いわばシリアス劇の幕間の狂言回しintermezzoみたいな。
 

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 シングルの『幸福論』は,そりゃあ佳曲ですよ。名曲とまでは云わないけれど,あの沸き立つ前進感は,ほんとうにうれしくなっちゃう響きでしょ。あれも彼女の五指に入る傑作だと思う。

 それに比べると,『幸福論(悦楽篇)』は,ともかくやかましい。それが好ましいかどうかは全く聴くほうの好み(または体調?)の問題だけど,私はシングルのほうがいいな。あの牧歌調が,いいんですよ。
 

     (26/11/2002)
『すべりだい』

 

 デビューシングル(1998年5月発売;19才)で『幸福論』とカップリングされた『すべりだい』は,これまた傑作。彼女の声質・声域にうまーく合った,心地よいボーカルラインが紡ぎ出す,ココロのイメージの世界。チョーかっこいいウッドベースにギターがからむ,アコースティックなバックにのせて。
 

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 『メロウ』が,コトバのいちいちの意味を超えた(ある意味,コトバを無にした)表現であったのに対し,この唄は逆に,プロット+メロディで聴かせる表現でしょ。

 歌詞の最初のほうは,ちょっともたもたしている感じだけれど,最終連(「このところ悔やんでばかり居る」以降)が秀逸。

 ”今ならうまくやれそうなのに,と悔やんでばかりいるが口に出したくはなく,ホントはすぐにでも泣きたいけれどそれもがまんし,ココロの中ではいまだにこだわってるんだけどそれをヒトに悟られたくはない。で,アタシは,過去の失敗をただこっそり横目で見送って...”と,きて,「...記憶が薄れるのを待っている」という最後のつぶやき。

 これがいかに見事なオチであるか,作者もよーくわかっていて(当然),アレンジの上でもこのつぶやきは鮮やか。「記憶が薄れるのを待って」いたい,そういうふうにしたいことって,世の中にあるのさ,ほっといて,でも,(ホントは)かまってほしいのさ...,というこのウタ。なんて意地っ張り!という人物像が,逆に,切ない限りでしょ。

 この唄のメロディが心地良い人は,彼女の声質にウマが合う人でしょう。後奏の長いスキャットも,ほーんと,うまいよね。私は彼女の作歴のなかで,5本指に入れたい曲と思っています。
 

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 この唄に錦上花を添えているのは,間奏でひっじょーに印象的なソロを聴かせるエレキギターです。ほんの短いひとくさり,という風情のソロだけれども,エレクトリック・ブルーズ・ギターの手本のような,めちゃんこかっこいいフレーズ。ジェフ・ベックが客演にきたのかと思ったぜ(笑)。
 

     (18/09/2002)(30/09/2002改)
『メロウ』(その1)

 

 『メロウ』(「絶頂集」8cmCD×3枚組の2枚目「天才プレパラート」バンドの1曲目)は,とにかく傑作中の傑作(作曲:戸谷 誠)。これについて語りたいことはあまりにも多い。あるいは,多すぎて語りにくい。ほんとは,ほんとにすばらしいものを別の言葉で語ろうとするなんて,愚です。が,その愚を冒して,ひとこと。
 

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 最初のサビ(「蔑んでくれ」以下)の,少年のような無地な声色。これは伏線あるいは舞台の初期設定。

 ハイキーになって回帰したサビは,壊れかかったココロ,もどかしい焦燥感に満ち満ちたココロの叫び,という以外ない響きでしょう。

 そうそう,「ウタ」じゃなくて,「響き」なんです,これ。この部分は,歌詞のコンテクストを全く離れてさえ(実際この唄に,歌詞カードを見ないでも語彙が聞き取れる行は,そんなに多くありません),彼女の声の響きそのものが,心情を伝えるに充分すぎて余りある。血や刃物や狂気といったアイテムがちりばめられた陰気な歌詞すら,コトバが語るメッセージという使命を捨てて,彼女の発声の道具としてただ奉仕する,といった趣き。

 (気が狂っているのは僕じゃなくてお前のほうなんだ)「そうだろう?」という問いかけの一言に込められた切迫感が,その頂点。そうだろう?と問いながら,そうじゃないことが解っている自分のもどかしさ。そうじゃないことが解っているのに,そうだろう?と叫ばずにいられない充たされなさ。泣けてくるよ。

 コトバのプロットによってではなく,ただのひと叫び,によるこんなにも感覚的・直截的に切ない表現ていうのは,そんなに多く経験できることではないでしょう。

 一人の声だけで,コトバの意味すら通り越えた切なさを表現しちゃう,そんな芸能力を持ったシンガーってのは,偉大のひとことに尽きます(スゴイ入れ込みよう...こんなこと云って大丈夫か?)。
 

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 もちろん,彼女の芸風にウマが合う,例えば,この絶叫調についてゆける,という人でなければ,こんな評価はしないでしょう。あたりまえだけど。

 それだけに,ウマが合う人にはたまらない傑作です。ネットでよくある,「自分が好きな彼女の唄・自由投票」の類で,この曲が『正しい街』や『すべりだい』と同様に高得点なのは,むべなるかな。

(続きはまた別途)
 

     (15/07/2002)
『丸の内サディスティック』―「無罪モラトリアム」(3)

 

 3曲目,『丸の内サディスティック』のイントロは,リズムボックス(風)の手拍子その他に導かれ,鍵盤ハーモニカの哀愁漂う音色に彩られ。そして,「脱故郷→東京へ・3部作」のラストを飾る。
 

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 唄のバックは,ピアノトリオに,鍵盤ハーモニカが時折加わるっていう編成です。このアルバム中で,ギターレスのバンド構成なのはこの曲だけ。ギターがない分,音はずいぶんすっきりしていて,ソリッドな,というかライブな,というか(ある種スカスカした)雰囲気が,ちょっと変わった感じがします。クレジットによればピアノを弾いているのは彼女自身ですが,ピアノの音はあまり前面に出てきません。
 

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 歌詞は,彼女の唄に頻繁に見られる,ナンセンス・ソングのパターン。このアルバムでは他に,「積木遊び」がその系列。他の多くのライブ収録の曲(「絶頂集」シングル3枚組や,「御起立ジャポン」ビデオなど)では,この路線が非常に多いです。支離滅裂=パンクの証ちゅうことか。

 何を云っているのだか,考えてもムダだし,発音も要所要所で非常にデフォルメされていて,「寝具」は「スィングル」に聞こえ,「池袋」は「ケブクロン」に聞こえる,という具合。これは要するに,いちいちの意味は考えてくれるな,というシグナルでしょ。

 とはいえ,個々の支離滅裂が重なり合って,ひとつのわかりやすいメッセージになるところが,音楽の不思議。この唄の核心は,自分が愛するロック音楽への敬愛と思慕の正直な表明,ですよね。そりゃ,聴いただけでスグわかること。

 この唄で,耳慣れないコトバが出たら,それはたいがいロック用語。こういう専門用語(笑)のあれこれは,ファンサイト「林檎姫パラノイア」にたいへん詳しいです。そこから仕入れた知識によると...

 まず「ベンジー」とは,“Blankey Jet City”というバンド(誰かCD貸してくれ)のギタリスト浅井健一氏の愛称だそうです(このバンドはもう解散したそうな)。浅井氏は彼女のアイドルで,「罪と罰」のゲストにやってきて,あのチョーかっこいい偉大なギターソロを弾いた人。思い出すだけでうっとりするよね。「グレッチ」はギーターメーカーで,浅井氏の使用楽器。「マーシャル」はメジャーなギターアンプのメーカー。「リッケン」は,もちろんリッケンバッカーだよな。そして「ラット」は,彼女が好きなエフェクターの名前だそう。RATは,東芝EMIが出している彼女のPR冊子のタイトルにもなっていて,相当お気に入りのキーワードなのでしょう。

 そういう音楽がらみの数々のキーワードと,丸ノ内線の駅名(ただし池袋寄りの北半分だけ)が組み合わされて,一種のご当地ソングをも形成しています。複合的意味構造だね。銀座,東京,御茶ノ水,後楽園,池袋。 ※個人的には,茗荷谷がないのが,残念(意味不明)。

 これは,2曲前の『正しい街』で綴られた博多のイメージとの,ある種シンメトリーをなしています。故郷の地名に結びつくのはココロを揺らす懐かしい(元)恋人だし,東京の地名に結びつくのは今や職業ともなった愛すべき音楽と,「報酬」「領収証」といったビジネスライクな空気だ,ってわけだ。そういうキモチの表明が,この曲の2番目の核心でしょ。

 ......と,いうことでつまり,この曲は,『正しい街』→『歌舞伎町の女王』に続く,「脱故郷→東京へ」3部作の3曲目にあたるっちゅうことですね。『正しい街』で故郷への愛惜を唄い,『歌舞伎町の女王』は東京へ出てきた「脱故郷ミュージシャン」の気分の高揚と初心の決意を語るメタファーであり,『丸の内サディスティック』で今や日常と化しつつある東京の日々を愛する音楽とともに語る.....
 

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 歌詞の最後は,「終電で帰るってば」のひとこと。「終電」は彼女のお気に入りのモチーフで,『やっつけ仕事』(「絶頂集」3枚組の冒頭1曲目)のなかでも,とっても耳に残る単語です。終電,って,寂しーいコトバだよね。
 

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 ....さて,今日で2002年も半分終わり。光陰如矢だねぇ。
 

     (30/06/2002)
『歌舞伎町の女王』―「無罪モラトリアム」(2)

 

 アルバム「無罪モラトリアム」は,冒頭の正統派ポップの佳曲『正しい街』のあと,一瞬のアウフタクト(笑)ののちに,このキョーレツな印象の2曲目に突入。「歌舞伎町の女王」は彼女の2枚目のシングル(1998年9月9日発売)でもある。

 その3か月前のデビューシングル「幸福論」(8cm版; 1998年5月27日発売)は,セールス的に不発だったそうなんです。「幸福論」も,カップリングの「すべりだい」も,どっちも,すんごーくいい曲なのになぁ。(ジャケットもいいしねぇ。)

 「幸福論」がなぜシングルとして不発だったか,と考えたときに,「アレは作りが中途半端だった」と考えた人は,あるいは「あれはとりあえず無難な路線での小手調べさ」と考えていた人は,所属事務所か東芝EMIかに,いたかもしれません。「幸福論」は,ちょっと見には,アイドル路線(くずれ)なのか,キョーレツ個性路線なのか,いまいち絞りきれないところが,あるように思います。

 「幸福論」のビデオクリップは,本人が公園で行き倒れていて最初は全然動かないという設定はなかなかに珍しいし,バンドが行き倒れの彼女のマイクスタンドを空けて待っている,というのもある種ヒネリな感じなんだけど,クリップの最後の最後で,本人が自転車に乗って快活に坂を降りるのが延々続くっていうのが,なんだか普通っぽくって,ちょっと場違いな感じ。考えてみれば,若干パンク風なれどトップスはセーラー服っていうのも,そもそもアイドル風味だよな。行末の歌唱処理にも,すごくアイドルっぽいテイストがかかっているしねぇ(本人はパロディのつもりかもしれないが)。

 それにしても,その後をうけて,「歌舞伎町の女王」でマキシシングルでやっぱり行こう!と考えたディレクターは,ハタから見るとかなりの冒険者。これが当たるかどうかなんて,素人には判断が難しい。もっとも,3枚目のシングルの「ここでキスして。」までは3枚のシングルが3カ月間隔で次々に出た一方,その次の「本能」までは10カ月以上あいているので,最初の3枚をこの順序でこの間隔で出そう,ということは,デビュー前から決まっていたでしょう。
 

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 曲は,ドシャドシャいう音のドラムスに導かれ,ギターが半音ずつベンベン・ベベン....と降りていく,ありゃりゃ,という感じの脱力感的イントロで始まり,あとは,アコギとエレキギター+ベース・ドラムスというロック歌謡っぽいサウンドにのせた,割に単純なリフにそのまま言葉を乗せて続いていく,っていう作り。サビは手拍子入り,間奏は口笛2本のユニゾンだ(笑)。「昭和歌謡曲調路線」というらしい。シングル「ギブス」の2曲目,ジュリーの「東京の女」のカバーが,同路線というか,その原点ていうか。こういう路線は,聴く人によって好き嫌いははっきり分かれそう。
 

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 歌詞は,ありそでなさそな,なさそでありそな,ストーリー物。これについて,なにかを語るのは,ちょっと難しい。

 この唄は,ひとつあと(このページではひとつ上)の「丸の内サディスティック」のところに書いたように,メジャーシーンのミュージシャンとしてデビューに至るまでの自分自身のメタファーであると考えると,妙に落ち着きがいいです。(詳しくは上を↑)

 表現上の特徴としては,漢語や文語的いいまわしの多用。これは「幸福論」でも多少でていたカラーで,もともと彼女の発想の基本的な特徴。歌唱の上では,ラ行の巻き舌が,はっきり出てきたこと。これは,「幸福論」では抑制されていました。

 さらに一点だけ申すならば,これを聴いたあとでは,新宿駅に着いたとき,この曲を思い起こさずにはいられん,っていうことか。「罪と罰」でも同じだけど。(あ,あっちは山手通りだから,西新宿かむしろ初台かも)
 

 (09/06/2002)(30/09/2002改)
『正しい街』―「無罪モラトリアム」(1)

 

 アルバム「無罪モラトリアム」の1曲目は,『正しい街』。これがまた,1曲目にじっつーにふさわしい作りだと思うんですよ。

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 冒頭,ドラムスに,ギターとディストーションがかかったスキャットがそれっぽくからむ,明るく軽くノリノリの雰囲気の短いイントロに,ボーカルが飛び込んでくる。うーん,かっこいー。サビの一節からまず歌いだす,という構成は,例えば「罪と罰」でも「本能」でも踏襲された,彼女のお得意パターンですね。そうすることで,冒頭から彼女の声質やこぶし回しの特徴がよく聴けて,ある種の「入口」を形成するわけだ。この入口に違和感のない人は,どうぞズンズン進んでください!,っていう入口。

 続くこの歌の本体の最初の部分は,リズムに工夫をして強拍をうしろにズラした独特のフレーズを持っていて,これがなかなかに印象的。(こういう小細工がマイナスのひっかかりになる人と,プラスのひっかかりになる人とで,彼女の好き嫌いが別れてしまうのかも。)

 しかも,2番の歌詞も含め,そのズラした強拍にはすべて,「a-i」という母音を載せて韻を踏むという,凝った作り込みよう。この曲は,アイの唄,なのさ。なかでも,「ta-i」の音を特別に多く集めている点は,おそらく九州弁の「〜たい」という語尾のエコー的表現であって,この歌の歌詞の内容に関連した細工でしょう(あてずっぽう)。

 そしてサビ(「さよならを告げた」以降)の部分は,ポップでわかりやすいメロディラインで,さぁ彼女の声を楽しんでくださいねぇ,という部分。このへんのオーソドックスさは,このアルバムの多くの曲に共通のパターンで,「シドと白昼夢」なども同傾向。

 さらに第2のサビ(「なんてだいそれたことを」以降)の部分は,メロディも新しく,アレンジも若干大げさ系に変わって,曲全体の頂点をなす。その直後の,全休止のあとの歌いだしも,いいよねぇ。

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 歌詞は....,
 

”故郷福岡を出て東京に行った「わたし」が,1年後に一時帰郷してみると,自分が故郷を出るとき捨てたはずの昔のカレがやさしく迎えてくれた,いまでもそんなふうに思っていてくれたなんて.....ついては,ココロが揺れ動いちゃってさぁ,東京に戻る日に空港に会いに来てくれないかな,なーんて思うのは自分勝手かしらねぇ?”
という,割に牧歌的でわかりやすいテーマ。ネタを散文で上記のように書くと,「そんで?」というかんじだけれど,それを多種多様な素材の的確なモザイクで,豊かなイメージの歌詞としてまとめあげるところが,すげーと思う。

 第2のサビで,東京には「正しい冬の匂い」「百道浜」「室見川」が無ーい!,そういうものと共に,「キミ」もいなーい!,と叫ぶ。ワタシはこの部分から,この歌が理解できるようになりました。つまり,ここが音楽的頂点(絵に描いたような上行メロディー※)であると同時に,全曲の歌詞の核心,すなわち扇のカナメとなって,他の素材が俯瞰できる,という構成。この2行は特に秀逸と思います。

※ちなみに,ここに先行する2フレーズは,ボーカルは上行なんだけども,バックはオブリガート的に,これまた絵に描いたような下行フレーズが盛大にかつカッコ良く鳴って,頂点となる上行フレーズを周到に先行するあたりが,あまりににくいアレンジ。
 それと,「泣かす」のが出ていく「わたし」(女)で,「泣く」のは「キミ」(男)だ,というのは,伝統的ステレオタイプからすると,ジェンダーの逆転と申せましょう。このような視点は,これまた「シドと白昼夢」にも見られるように,彼女の歌世界の,ある種際だった特徴のひとつではないでしょうか(よい子の演説調)。

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 さて,「故郷を捨てて東京へ行く」というモチーフは,中島みゆきの「ホームにて」や「ファイト!」を持ち出すまでもなく,日本のポップソングの世界では非常にありふれたものです。にもかかわらず,ファーストアルバムの1曲目にそういう歌をもってくるところは彼女の自信のほど,なのでしょう。あるいは,東京へ出て成功を既に確信した者の余裕,というべきか。そしてその歌が非常に魅力的だというのは,全く幸福なことだよねー。
  


(26/04/2002)(08/10/2002改)
When there's no getting over that rainbow
When the smallest of my dreams won't come true
I can take all the madness that the world has to give
But I won't last a day without you
 
"I won't last a day without you"
Paul Williams + Roger Nichols; most famous cover version by the Carpenters (1972)
 
 
 先週出た新盤ですが,忙しくて街に行く時間もない私は,買わずにいて,なんかグズグズして特にすぐ買うつもりはなかったんです。が,たまたま夜までやってる店に行ったら,幸か不幸か,この曲のカバー(宇多田ヒカルとのデュエット)のトラックが店に流れてて。そしたら,たまらず買うことに。

 それにしても名曲ですよねーこのへんの楽曲って。このへんのコトバのカラーリングのセンスは,アメリカン・ポップにしては単なるroutine(常套手段)なものだと思うけど,荒井由美あたりにものすごく影響してる気がします(もっともこの唄がカーペンターズでヒットした時,既に荒井由美はデビューしたあとだな)。
 
 

”良いことにはちっとも手が届かなくて 
ほんのわずかな願いすらかないそうもない時だって 
どんなつらさにも アナタがいるからアタシ耐えられる 
でもねアタシ アナタなしじゃあ ほんの1日だって生きられないのよ”

 

ていう雰囲気は,遠く30年後に「ここでキスして。」に続く系譜ですよね。似たような内容の唄なのに,なんて多様な雰囲気だこと。
  


(01/06/2002)
Windshield wipers slapping time
I was holding Bobby's hand in mine
We sang every song that driver knew
Freedom's just another word for nothing left to lose
Nothing, nothing, if ain't free
Feeling good was easy load when he sang the blues
You know feeling good was good enough for me
Good enough for me and my Bobby McGee

"Me and Bobby McGee" by Kristofferson-Foster, sung by J. J. (1970)
やはり今の世の中,JJといえば,ほのぼの系のこの曲。
「自由って云うのはつまり,なにも失くすものがない,ってこと」だってさぁ....
 

「あおぞら」では,ジャニスを聴いてセンチメンタルになる筈なのであるが,J.J.のいったいどこをどう聴いたらセンチメンタルになるのかいな?さすが自称パンク...と思っていると,どうも,あの”ジャニス”は,そうじゃなくてイアンのほう,らしい。そして,シングル「罪と罰」3曲目の「セヴンティーン」は,ジャニス・イアンの同名曲の直接のパロディ(またはオマージュ)なんだそうだ。

と思っていると,アルバム「無罪モラトリアム」の6曲目「シドと白昼夢」では,堂々とジャニス・イアンへの信仰ぶりを叫んでゐるではないか。なーんだ。自明のことだったのね。

ということで,我々の世代には,ジャニスといへばジョプリンのことでありますが,彼女にとってはイアンのこと。ちなみに,彼女にとってシドといへば即,ヴィシャスのことなんだけれど,我々にとってはビミョーにシド・バレットであったりするわけなんだなぁ。

ところで,「シドと白昼夢」は,シングル「真夜中は純潔」の2曲目でもカバーされていて,私はそっちのアレンジのほうが好きです。このシングルの3曲は,ともかくアレンジに凝ってみせましょう,彼女自身の二番煎じなんてするもんかぁ!,という意図がありありで,東芝EMIの前向きな意欲を感じる1枚かと。もっとも,彼女の唄はすべて,アレンジの秀逸さがすごく大きな要素になっているんだけど。

以上,またも意味なし妄言。 


(08/04/2002)
「罪と罰」でエクスタシー,「あおぞら」で癒し。その繰り返し。ときどき「輪廻ハイライト」で安堵。というのが,このところ私の「林檎の食べ方」定番です。「罪と罰」は,どうしてあんなにかっこいいんでしょう。ギター・ベース・ドラムス・オルガン,あの70年代テイストにして完璧な音作りそして曲の造形。楽器のようにエモーショナルかつ正確無比にうたうボーカル,詩情あふれる歌詞。ほとんど奇跡的ですよ。

※最初にこれを聴かせてくれたのは,或る春の日,某丘陵へ向かう車中の待D君だったな。まっちありがとう。ところでレッドツェッペリンとニナ・ハーゲンを足したいいとこどりのパロディ,のようでもありますよね(褒め言葉)。
 

★ とうとう「ひとこと」っぽくなったぜ。やったぁ。(爆)

(20/02/2002)