新潟大学 自然史のパッセージ
奥只見産ペルム紀腕足類
-2.6億年前の日本最北端の化石-
 最近(1997年夏),新潟-福島県境付近の奥只見で,ペルム紀(2.6億年前)の腕足類化石が発見されました.この化石により奥只見がペルム紀当時,"原日本"の最北端の海であったことが明らかになりました.奥只見産腕足類化石は,白亜紀(約1億年前)に日本の南半分が約1,500 kmも北へ移動する大変動があったことの証拠の1つとされています.

 奥只見の腕足類化石は,スピッツベルゲン島,シベリア北東部,カナダ北部(ユーコン地方)など北極圏あるいはそれに近い地域のペルム紀の地層から報告されている腕足類化石に似ています(これらの地域はペルム紀当時も北半球高緯度地域にありました).

 このことから,北方の冷たい海域(ボレアル区)に生息していた腕足類の化石であるといえます.
 ペルム紀の頃,南部北上テレーンは中朝地塊(北中国と朝鮮半島を合わせた陸塊)東縁の大陸棚,秋吉テレーンは大陸斜面または海溝として存在していました.

 奥只見は秋吉テレーンの一部である上越帯に属します.奥只見の腕足類はボレアル型ですが,飛騨外縁帯,南部北上帯,秋吉帯からはボレアル型とテチス型の混在したものが,また,黒瀬川帯からはより南方のテチス型の腕足類が産出します.

 このことから,奥只見の腕足類はペルム紀の"原日本"のなかでは最も北の動物群であったことがわかります.
 ボレアル区には北方の冷たい海の動物群,ゴンドワナ区には南方の冷たい海の動物群,そして赤道をはさんだ北,南半球の低~中緯度地域には暖かな海のテチス型やパンサラッサ型の動物群が生息していました."原日本"は中朝地塊(SK)東縁の大陸棚または海溝で,そこにはボレアル型とテチス型の混在する動物群が生息していました.奥只見は"原日本"の最北端に位置していました.
  前期白亜紀(約1億年前)に大規模な左横ずれ運動が起き,"原日本"の南半分が約1,500kmも北へ移動して,日本全体が現在の形に近いものになりました.この変動はその頃の北向きで高速(20~30 cm / 年)のプレート運動によるもので,当時1つの連続した大断層であった棚倉構造線(TTL)と中央構造線(MTL)に沿って起きたと考えられます.その結果,ペルム紀に"原日本"の最北端にあった奥只見が,現在のように日本の中央部に位置するようになりました.奥只見の腕足類化石はこの大規模左横ずれ運動をうらづける重要な証拠です.
 古生代のオルドビス紀(約5億年前)以降,南半球に存在したゴンドワナ大陸が分裂し,その断片である中朝地塊,揚子地塊,インド地塊などの陸塊が,シベリア地塊を核として集合,合体し,現在みられるようなアジア大陸が形成されました.これが"ゴンドワナ大陸の分裂とアジアの収束"といわれる出来事です.日本列島もその一環として,中朝地塊の東縁で誕生し,成長してきました.日本列島の歴史を正しく理解するためには,国内の資料だけでなく,日本の地質が続いているロシア沿海地方や中国東北部の地質や化石に関する資料が必要です.今後ますますこれらの地域の研究者との学術交流を深め,地質学的資料を収集することが望まれます.